化粧箱の奥をあさり、ずいぶん昔に買ったようなマニキュアを塗ってみた。少し伸びて長めの爪が一瞬できらりとつややかに光る。親指から順番に液を滑らせ、中指、薬指まで。私は透明なビンから色の付いたものに持ち替えると、わざと小指だけ別の色で塗りつぶしてみた。

私にはちょっと不似合いな、ピンク色。





「なにしてんの」
「・・・・いずみ」

気が付けば部屋の入り口に立っていた彼が、私の片方の小指を見てそう言った。
いつものように勝手に部屋に入るなと言うも、適当な理由をつけて流されるのは目に見えているので私は明らかに不満げな視線だけを彼に向ける。すると彼はそれを感じ取ったかのように鍵をかけてない方が悪いと口にした。(このやろう私の部屋に鍵がないと知っての言葉か・・・!)

私と泉はいわゆる幼馴染とか言うやつで、家が近所 と言うには近すぎるお向かいの家に住んでいた。でなければこんな朝早くから人の家に上がりこみおまけに部屋にまで不法侵入するなんで言語道断。いや、幼馴染であってももってのほかである。大体女の子の部屋に無断で立ち入ろうなんて・・・こちらとしては少しは躊躇してほしいお年頃である。


「なにかしらいずみくん」
「いやそれは俺の台詞だから」
「え、なんでよ」
「何でネイルなんかしてんの」
「(ネイルなんか・・・)そういう気分だったからでしょ」
「(え、が?)」
「(あーいま え、お前が? って思った絶対)」

何かいいたいことでもあるのと悪意をこめて尋ねると、「なにもないけど?」と笑顔の返事が返ってきた。そう、泉孝介はこういうやつだ。可愛い顔して性格は阿部とどっこいどっこい、似たようなもの、どんぐりの背比べ。(まあつまり結局のところ泉は性格がゆがんでいるということ)(許せ阿部)

「で、ほんとは?」
「それ聞くの?」
「聞くだろ普通」
「あ、そろそろ学校行かなきゃ」
「今日休みだし」
「泉部活が・・」
「さっき練習ないって連絡来た」
「(モモカンのばかやろう・・・!)」

私の視線はあさっての方向へ向いていた。小指に塗られたマニキュアは決して気分なんかじゃない!とは言いきれないが一応列記とした理由と目的があるのでそういうことにしておこう。だけどそれを泉に報告するというのはできることなら避けたい。なぜならば、どうせばかにされるに決まってるから。(ていうか何でこんなときに限って部活休みとか)
私は昨日目にした 小指にピンクのマニキュアで恋愛運気上昇 の雑誌の文字を思い浮かべた。小指のピンクは出会いを引き寄せるとか恋が実る暗示。そんな乙女なわけじゃない私がそんな言葉を丸きり信じたわけではないけれど、千代の後押しもあり一緒に試そうと言う事で都合よく昔買ったマニキュアの事を思い出したのだ。私には不似合いなピンクは、なぜ買ったのか未だによくわからないが。

するといつの間にか近くにいた泉が私の腕を掴み、思わず上ずった声が出る。

「こんなんでうまくいくわけないし」
「え?」
「この間野球部のマネジが」

話してた。って泉が続けた。その言葉から連想するものを、私はひとつだけ知っている。

「もしかして雑誌みた?」

泉が何も言わずにこちらを見る。おそらく肯定の意味で。

「いずみ?」
つかまれたままの手が少し痛い。もう一度名前を呼ぶと、腕を放されたと思いきやもう片方の腕を引っ張られてさらに驚いた。

「わ、なに!」
「それ貸して」

彼の目はピンクのビンを示しているようで、しょうがなく(つまり泉の言う事に素直に従うのは癪だと言うこと) 離された片腕でビンを手渡す。何をするのかと眺めていると、器用にふたを開け掴まれた私の小指へと持っていく。
思わぬ邪魔が入ったせいで何も塗られていなかった小指に、薄いピンクが色づいた。私は そのピンク色と彼を交互に見やる。

「え?いずみ?」
「なんだよ」
「なんだよじゃないよ、なんなの」

これ、と言いながら小指に視線を落とすと彼も同じようにそうした。

「途中だったみたいだから塗ってやった」
「あ、うん」
「・・・そう言うの一回やってみたかったし」
「・・・うん」


「なに?」
「信じてないだろ」
「しんじ、てるよ」
「・・顔が笑ってる」
「あ」

先ほどとは打って変わって、泉が珍しく言い訳(それも、どれも信憑性のないものばかり) を口にするものだから無意識に口元が緩んでしまっていたようだ。それを言い当てられても困る事はなかったが、彼があまりにもまっすぐ私の顔を見るため思わずごめんと謝罪してしまった。こういうところが私がいつになっても彼に勝てない原因なのだろうと薄々気が付いてはいる。(まあ今はそれでよしとしよう)
自己完結の後顔を上げれば、彼もこちらを見ていた。私がわざとらしく名前を呼ぶと、見るからに疑いのまなざしを向けられる。

「いずみ」
「・・・」
「手、かして」
「    やだ」
「いいじゃん」
「いや」

私が右手を差し出せば、彼は 私がこっそり左手に忍ばせたピンクのビンに目をやりそう言った。どうやら泉は私のちょっとした、(自分で言うのもあれだけど) かわいらしい計画に気が付いてしまったようだ。残念。最後の手段として無理やり手をとろうとしたら、 逆に腕をつかまれる羽目になっただけだった。どんまい

「いずみ、」
「嫌」
「まだ何も言ってないよ」
「言わなくてもわかるし」
「痛いよいずみ」
「うん」

掴まれた手首が、悲鳴を上げている。それは別に強く掴まれているとか そう言うのじゃなくて、寧ろ手首じゃなく心臓が痛い。きっと彼の顔がちょっと真剣で驚いただけ。少し脈が速くなったとか気のせい。気のせい気のせいきのせい(だってほら 泉だし)

少し離れていた意識を戻すと先ほどと同じ表情の彼がなにか言う。

「−− がいるのに」
「え、なに?聞こえなかった」
「・・・新しい出会いとか必要なくね?」
「だって・・・」
「だってもくそもない」

「ていうかなんなのいずみ」

私がそう言うと、相変わらず腕を繋いだままの彼が少しだけ微笑んだ。

「さあ、ピンクのマニキュアの効果じゃね?」
「は?」


どうやら私は、その 青い瞳 に吸い込まれた ようだ。





brilliant blue